拙著『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』を
読んでいただいた方々からFBやメール、お手紙でご感想をいただいています。
Amazonのレビューにも書いてくださったり。心から感謝です、ありがとうございます。
今朝、録画をしていた100de名著「モモ」を見ていたら河合俊雄さんが
「真実は共有されないと意味がない」と話されていました。
拙著にいただくご感想をもって、私では暴ききれなかった私の正体というか、
真実というものを教えていただいてるような気がします。
以下の感想は、阪野貢さんという地域福祉の研究者からいただいたものです。
添付した図は、阪野さんが描く今中の解剖図。
身体全体みているつもりでも、そんな訳はないわけで、
私の背中にアザがあることを知ったのは「真実」を「共有」してくださったから。
大きなご褒美をいただきました。
「今中がいう「名刺代わり」とは、自らの人生を綴った自分史であり、
怒りや安らぎを、その時々の心情を吐露した本でもある、という意味であろうか。
また、今中は、本書は「少し毒気(どくけ)のある生き方エッセイ」であるという。
誰をやり込め、傷つける「毒気」なのか。その対象は、「あなた」
(「壁の中に籠りがちなあなた」「壁を壊して外に出たがるあなた」、
「マジョリティのあなた」「マイノリティのあなた」、「中・高生のあなた」
「大人のあなた」、しかも「見て見ぬふりをするあなた」「見ぬふりをして見るあなた」)なのか、
「既成の知や制度化された知」(208ページ)なのか、
あるいはもしかして今中、あなた自身なのか。
〇そんなことよりも、今中がそのような「気負い」をなくすきっかけは何だったのか。
筆者は、その答えのひとつを次の一節に見出したい。
「壁をコントロールできるなら、すべきだと書いてきました。
無理やりにでも、意図的にそうすべきだとも書きました。
でも、こうも思うのです。私は何さまだ‥‥‥自惚(うぬぼ)れるんじゃない、と。
/仏教は、私に『無常』を教えてくれました。『無常』の『常』とは、
『ずっとそのまま』ということです。それに『無』がつくと、
『ずっとそのままは無いよ』となります。
つまり『うつりかわる』ということです。うつりかわるものは、
『すべてのもの』です」(183、184ページ)。「ずっとそのままは無いよ」は、
「あなた」へのメッセージであり、愛娘(まなむすめ)へのそれでもある。
〇筆者は、本書を読み始めて早々に、何故か(本当に何故か)、
子どものころに遊んだ摩訶不思議な世界である「万華鏡」を思い出した。
3枚の鏡を組み合わせたもので、その内部に封入された対象物(オブジェクト)は次の三つである。
「デザイン学・仏教学(仏教的なるもの)・社会福祉学」
「デザイン(企て)・人生(生き方)・自分史(内省)」
「哲学(生き方)・価値(選択基準)・思想(考え方)」。
これらが、「一人ひとりで、共に」という理念・原理に基づいて
「ソーシャル・イノベーション」(社会変革)をもたらす。
そして、今中のほどほどでない“憤り”や“怒り”と、
「仏教的なるもの」による“優しさ”や“安らぎ”を映し出す(図1参照)。
今中の憤りや怒りは数知れないであろうが、
筆者自身も優しさや安らぎを覚えるのは次の一節である。
「愛する人を守るためには、私はワタシを守らなければならない。
そのために壁の中に籠ることを肯定したい。
けっして心のバリアフリーだけが幸せになる行為ではない」(217ページ)。」
そして阪野さんは「市民福祉教育はどのように向き合い、
どのような事業・活動や運動を展開しようとしているのか。
(敗戦後の混迷期のように)政治・経済・社会のすべてが「劣化」した日本のいまの在り様は、
それらの教育実践の拠り所である(新しい)「哲学・価値・思想」の必要性について
強く迫っている。今中の本書は、それに応えてくれる一冊でもある。」と
締めくくってくださっています。
あなたが開き、広げる万華鏡の世界:
心が躍る一冊―今中博之著
『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』
のワンポイントメモ―