過去の記事 → 2014年03月

「PARALLELS(パラレルズ)」

インカーブアーティスト寺尾勝広の「PARALLELS(パラレルズ)」展と
MoMA「20世紀美術におけるプリミティヴィズム-『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」展。

二つの展覧会を絡めて、こんなこと思いました。

サンフランシスコのジャック・フィッシャー・ギャラリーで、
インカーブのアーティスト・寺尾勝広とCharles Fahlenによる
二人展「PARALLELS」がスタートしました。
ギャラリー・オーナーのジャック・フィッシャーの企画意図は
「時間的にも地理的にも全く異なる環境にいる二人のアーティストが並んだ時、
形式や潜在的な興味に類似点”PARALLELS(パラレルズ)”を感じてっていただきたい」ということです。
1
僕がPARALLELS(パラレルズ)というテーマで思い出すのは、
1984年9月27日から1985〜1月15日まで、ニューヨークの近代美術館MoMA)で開かれた
「20世紀美術におけるプリミティヴィズムー『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」展
の企画意図と展示方法です。

吉田憲司さんが書かれた名著『文化の「発見」-驚異の部屋からヴァーチャル・ミュージアムまで-』
(1999年5月25日岩波書店)には、MoMAで開かれた上記の展覧会意図をこのように考察されていました。

「20世紀美術におけるプリミティヴィズムー『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」展
の最大の問題点は、「モダン」なるものと「区別」される、「部族的」なるものが存在するという、
まさにその前提であったといわなければならない。

また美術評論家のマクェヴィリーの言葉を援用しながら。
「非西洋のそれぞれの社会において個々の作品がどのような目的でつくられ、
作者のどのような意図を反映しているのかはいっさい吟味されないままに、
形式上の類似性が、制作の動機が共通であるという主張に短絡的に結びついているというのである。
しかも、「親縁性」という言葉を拠り所としたこうした「モダン・アート」の作品は
「プリミティヴ・アート」の作品の組み合わせはきてめて恣意的なものであり、
この展覧会で展示するということを除けばなんら一対にされる理由のないものだという
(中略)西洋の作品にはその制作年代を表記する一方で、「プリミティヴ」な作品についての
年代をいっさいあげていない」

つまり吉田さんの主張は
「20世紀美術におけるプリミティヴィズムー『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」展は
西洋と非西洋を区別し、西洋から一方的にみた非西洋の紹介だったことを明らかにされています。
また、それは西洋の上意を非西洋に下達する残酷な通達だったように思います。

他方、今回の「PARALLELS」では「西洋の上意を非西洋に下達する残酷な通達」はありませんでした。
事前にジャック・フィッシャー・ギャラリーのキュレーターがアトリエインカーブに訪問され、
寺尾勝広と会い、お気に入りの作品を購入し、インカーブの活動を真摯に聞き、
そして最終調整は連日のメール確認。丁寧なハンドリングが実って「PARALLELS」がスタートしました。

当然といえば当然のことですが「時間的にも地理的にも全く異なる環境にいる二人のアーティストが並んだ時、
形式や潜在的な興味に類似点”PARALLELS(パラレルズ)”」を見いだしたのはキュレーターです。
さて、今回の展覧会はキュレーターの意図通り二人のアーティストは「区別のない」同じ土俵で
展覧できたのか、それとも「西洋の上意を非西洋に下達する残酷な通達」としてお客さまに映ったのか?
展覧会が終わったら聞いてみたいと思います。
——————————————————–
PARALLELS
CHARLES FAHLEN & KATSUHIRO TERAO
2014年3月22日~4月26日
ジャック・フィッシャー・ギャラリー
http://www.jackfischergallery.com/
1-123

さくらとましろのチビT

今日は朝一からインカーブでデザインした「チビT」の撮影をしました。
作品をインクジェットでプリントアウト。
トリミングして、パッチワークのように手縫いをします。
定番の「大人T」とお揃いの「チビT」です。
インカーブサイトやhttp://incurve.jp/online.html
現代美術館のミュージアムショップで販売予定です。
乞うご期待いください!!

モデルは今中さくら(向かって左)と神谷ましろ(向かって右)です。

TIBIT

この人にお仕えしたい

人生で一度だけ「この人にお仕えしたい」と思えるデザイナーがいました。
そのかたはインテリアデザイナーの野井成正さんです。

野井さんの作品に出会ったのはデザインを学んでいた学生の頃。
約30年前のことです。
形や色を競う消費されるデザインではなく、
どことなく儚げで、繊細でした。

野井さんに恋文FAXを送りつけていました。さぞかし、ご迷惑だったと思います。

恋文の内容は「昨日、BAR川名(野井さんがデザインされた伝説のバー)にいってきました。
30ミリの木材で構成されたカウンターバック。漏れるホリゾント照明。
カンターと天井高さのバランス。JAZZとお酒……すべてが憧れのデザインです」

恋文作戦が実り、晩ご飯にお誘いいただけるようになりました。
20歳違いの僕にも優しく丁寧に「デザインとは」を教えてくださいました。
乃村工藝を卒業して、11年。
先日、久しぶりにお会いする事ができました。
相変わらず、気さくで、優しい野井さんでした。
「この人にお仕えしたい」と思えるデザイナーが野井さんでよかったと思います。

http://www.noi-shigemasa.com/profile/index.html
NOI1NOI2

今年度、最後となった京都大学 地域研究統合情報センターの
研究会に出かけました。テーマは「宗教実践の時空間と地域」。
研究員として末席で活動中です。
http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/project/kydo25-2-3

発表者の一人、蔵本龍介氏(国立民俗学博物館・外来研究員)の
「統計資料からみるミャンマー出家者の世界-ライフコースと都市への棲み方-」
に現代の貧困と仏道の関係性をみました。

ビルマの「若年出家者比丘」の大半が村落出身者であり、
都市部との経済格差が著しい子供たちの教育機会は乏しく、
生活環境は劣悪だといいます。
なかでも自前の農地を持たない貧しい村の子供たちは、
出家者(沙弥)の主要な供給源であり、
同時に国軍や反政府ゲリラの主要な供給源でもあるという。

「仏道を歩もうとする子供」と「反社会的な活動に参加する子供」は
同じ村で育った同級生だったかもしれないし、兄弟だったかもしれない。
子供たちに通底するのは貧困です。

貧困が起因して反政府活動に傾倒していく子供がいる一方で、
その他の子供たちは、なぜ仏道を目指したのか?
天理教では「貧に落ちてこそ人救いができる」と説きます。
村の子供たちが初めから「貧に落ちてこそ人救いができる」と考えていたとは思えません。

蔵本氏、曰く。
10代から20代前半くらいまでは教学(経典学習)中心の生活を送り、
出家者として自立する(僧院などを構えるなど)のために仏教試験に合格すると
「僧院」(同一の信仰を持つ出家修行者僧が、共同生活を行うための施設)を
構えることができるという。
また、その僧院を都市部に持ちたいという者が大半だとも。

つまり「仏道を歩もうとする子供」たちは貧困からの脱出を図る為に仏道を目指し、
布施の規模の大きい都市部に僧院を構えることをゴールとしているのではないか。
貧困の中から立ちあがる為に、暴力ではなく、仏道により快適な生活を
手に入れることを願っている、のではないか」とも。

「阿羅漢を目指すものが、そんな本末転倒なことでどうするんだ!」って
お叱りの声が聞こえそうですが、でも、僕はこう思うのです。
貧困から脱出できる道が僧侶になる道なら、それも一手。
本末転倒だって貧困の苦しみから抜けだすことができるなら、
それも一手だと思うんです。
邪道なことでも、なんでもいいから、
もがいてるうちに身体に巻き付いたロープは緩んでくる……きっと緩むはず。

生きにくい人生を本末転倒な手段で生き抜いて来た僧侶だからこそ、
小さな光を指し示すことができる方ではないでしょうか。
いまの日本でも同じです。
本末転倒な手段でもいいから、もがいてるうちに、なんとかなる。

IMG_8846

世界28都市から145軒のギャラリーが出展する国内最大のアートフェア、
「アートフェア東京」の一般公開が3月7日から始まります。
昨年に引き続きインカーブのアーティストが
「ギャラリーインカーブ|京都」から出品しています。
アテンダントはインカーブスタッフの林智樹と三宅優子がつとめます。

http://artfairtokyo.com/
↓下記YouTubeの動画は昨年のアートフェア東京
http://www.youtube.com/watch?v=UVVV3vgPZFk

S

ページのトップ