「アール・ブリュット・ジャポネ」の監修者
(アル・サン・ピエール美術館のマルティーヌ・リュサルティ館長)
「監修者からのメッセージ」に違和感を覚えます。
「ヨーロッパのアール・ブリュットはもともと精神疾患の患者や霊媒師、
社会の周辺にいたマージナルな人々によるアート」
だとした上で「日本におけるアール・ブリュットへの関心は、
ハンディキャップがあるひとびとの社会参加と認知を推進するという
考えと結びついています。
アール・ブリュットは、その外延が常に広がっている『開かれた場所』となりました」
もともと社会の周辺にいたマージナルな人々のアートであったものが如何様に変化しようと、大本は同じ。
彼の言う外延は「社会の周辺にいたマージナルな人々のアート」の延長線上にある。
私の知る限り障がいのあるアーティストは自らを周辺にいる人間だとは言わない。
彼らを周辺からやってきた人間だとするのは中心にいる人間である。
抗する手だてが限りなく少ない障がいのあるアーティストを
社会の周辺にいたマージナルな人と呼ぶことは許されない。
また「外延が常に広がっている『開かれた場所』となりました」とあるが、これも見当違いである。
無理矢理、福祉事業者や行政が「外延を広げ『開いた場所』」としたのではないか。
「孤独と���密と静��のなかで創造するアール・ブリュットの���家たちの仲間入りを果たしたのです」
��術関���者が使いたがる常���句である。
障がいのあるアーティストたちが孤独でいてほしい、秘密もたんまりもっていてほしい!
そんな夢と���望が現れている。
元アール・ブリュット・コレクションの館長も孤独・���密・���黙をアール・ブリュットのキャッチに使っていた。
いまはデュビュッフェが生きた第���次���界大戦前後ではない。
日本で障がいのあるアーティストが孤独と���密の中で制���をしているというのなら、
障がい者福祉の���焉であり医療と���政の怠慢である。
時代錯誤なキャッチでミスリードしてはいけない。
「アール・ブリュット・ジャポネの出品者の�����は、
その��ンディキャップのゆえに文化や芸���の分��と���離を置いています」
本���にそうなんでしょうか?
文化とはなんですか?芸���とはなんですか?
す��な��ともインカーブのアーティストたちは文化と芸���のど真ん中で生きています。
アール・ブリュット・ジャポネの出品者の���く=障がいのあるアーティストたちが
文化や芸���の分��と���離を置いていると���る、国内外の���祉事業者や��術関���者に違和感を覚えます。