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本物のアール・ブリュット

『ヴェルフリはヴェルフリでしかない』。
先月28日に兵庫県立美術館で行われた
服部正さん(甲南大学文学部人間科学科准教授)の
講演「アール・ブリュットとしてのヴェルフリ」は超満員でした。
いま「ヴェルフリ」を通して「本物のアール・ブリュットとは、何か?」を
知りたい、納得したい美術愛好家(私も含めて)が増えています。
私がヴェルフリに出会ったのは、20年ほど前のスイスでした。
ただ、これほどたくさんの作品を見たのは初めて。
圧巻です。
服部氏は、当日配布されたテキストの中で、
ヴェルフリの「作品の特徴」を<対称性><ちりばめられたモチーフ>
<枠取りの構造><楽譜とテキストの共存><本の構造>だと指摘しています。
ただその特徴がどこからきているのか「わからない」ゆえに
「我々の想像を掻き立てる」とも。
コンセプトを饒舌に語る現代アートにはない混迷感が大好きです。
また、ヘンリー・ダーガーとヴェルフリの「絵とテキストの関係性」
の違いにも納得。
彼らの障がい程度/種別がその関係性に影響していることを知りました。
テキストの最後は「おわりに:アール・ブリュットの現代的意義」と
題して<デュビュッフェは、社会や美術の制度が持つ排除の構造を
問題にしていた><アール・ブリュットは、障がい者の創造物から
「障がい者アート」というラベルを引き剥がした>と記されています。

一方、「2017年 アール・ブリュット大国ニッポン」は東京都や
鳥取県・愛知県で「障がい者アート」にアール・ブリュットという
ラベルを貼り付けています。
アール・ブリュットは、デュビュッフェに属する言葉です。
彼は、西洋の巨大な壁のような文化やアカデミックな組織や、
ポリティカルな事象が鬱陶しいのです。
それを破壊するためにアール・ブリュットという言葉を作ったわけです。
それを時代も文脈も違う日本に広げていくというのは、無理があるのです。
美術愛好家(私も含めて)からすると
「土足で美術に入ってくるんじゃない」ってことになり、
過去の山下清や棟方志功のように美術界から「黙殺」される
可能性があります。
障がいのある方々が作るものが『アート』だというのなら、
史実を踏まえて、土足で美術界に入っては危険です。
そしてそれは得策ではありません。
厚生労働省や文化庁のみなさん、
そして行政を先導する政治家のみなさん、
ぜひ「本物のアール・ブリュットとは、何か?」を
『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』で探ってください。
2020年に向かって、今の軌道を修正する時間はあります。
「本物のアール・ブリュット」にするのか、
「日本風アール・ブリュット」にするのか、
それとも「組しないのか」。
多額の税金を投入する以上、答えを出さなくてはなりません。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1701/index.html
『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』は、
今月末まで兵庫県立美術館で開催されています。
なお、名古屋・東京を巡回されるようです。
ぜひぜひ、「本物のアール・ブリュット」を見てください。

「そもそも」の大切さ

神谷梢は一年。
林智樹、三宅優子は半年。
大阪府立大学大学院(人間社会学研究科社会福祉学専攻科目等履修生)
の学びを終えました。
福祉はヒトを対象とするので、本当に奥が深い。
3人とも10年以上インカーブで仕事をしてきて、
<いま>学ぶ意味を感じてくれていると思います。
先達は言ってました「福祉は実践だよ」。
なるほど、そうだけど「その実践」を下支えにする
「そもそも福祉って、なんだ?」をクリティカルに学ぶことも大切です。
気力と体力と、それ以上に追いかけたい「テーマ」が見つかれば、
修士/博士にチャレンジしてほしいと願っています。
見失いがちな「そもそも」を学ぶことは、
「福祉の実践者」にこそ意味のあることだと思います。

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