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イタリアのアレッサンドラ・ロカテッリ(Alessandra Locatelli)
障害者担当大臣がインカーブを訪問されました。
G7の中で障害者担当大臣を置いているのはイタリアだけです。
日本では、内閣府の特命担当大臣が共生・共助の分野の中で
障がい者関連を担当していますが、障がい者に特化した(専門的な)大臣ではありません。
障がい者福祉の先進国であるイタリアでは、「フルインクルーシブ教育」が実践されています。
これは、ほとんどすべての障がい児が支援学校や支援学級ではなく、
地域の学校で健常児と共に学ぶ教育です。
一方、日本では健常児と障がい児を分ける分離教育が主流で、多様性や共生を謳う一方で、
インクルーシブ教育の実現にはほど遠い状況です。
なお、イタリアの公教育への支出はGDP比で約4.0%、日本は約3.9%で、大きな差はありません。
人口は日本の約半分で、地域間の経済格差も存在します。
それでもイタリアはフルインクルーシブ教育を実施し、日本は分離教育という現状。
この違いの原因は何か──それが私にとって最大の疑問でした。
そこで、私はとてもフレンドリーな大臣に質問をしました(議事録は下記参照)。
カトリック的な隣人愛やボランティア文化が影響しているのか?
法律があるから市民は嫌々従っているのか?
ケアする教員を増員する打ち出の小槌的な財布があるのか?
大臣の答えは意外でした。「フルインクルーシブ教育が実現できるのは、イタリア人気質ですね」。
もし国民性や文化、社会の構造が大きく影響しているとすれば、
この差を簡単に埋めることは容易ではありません。むむむ、ならば、どうすればいい?
2時間弱の視察が終わってから、帯同してくださった内閣府の方と新聞社の方でブレスト。
イタリア人の大らかさと日本人の四角四面のところを踏まえた上で、
日本人らしいインクルーシブを模索するしかないか‥いずれにしても前に進めないと。

帰り際、ロカテッリ大臣から「権利を獲得するために戦う必要がなくなり、
障害担当大臣自体が不要になることが目標です」と話されていました。
その確たる信念、刺さりました。

2025.9.27
イタリア ロカテッリ障害担当大臣インカーブ来訪ディスカッション
(Ima=今中博之/Loc=ロカテッリ大臣/通訳:山本万樹子さん(在大阪イタリア総領事館秘書室))

Ima: フルインクルージョン教育を経て、フルインクルージョンの「仕事場」は用意されていますか?
重度を除く障がい者は一般雇用ですか?日本のような「施設」に通所・入所が主でしょうか?

Loc: イタリアでは、1999年以降、法律によって、
15名のうち1名は障がい者を雇用することと規定されています。
これは一般企業に限ったことではなく、官公庁も含まれます。
ただ、雇用すればいいというものではなく、働きやすさや継続性といった
アクセシブルな取り組みも欠かせません。
(いまなかさんの話だと)日本ではまだ健常者の下支えのような仕事が主だとのことですが、
イタリアでも障がいがある人の給料はそれほど多くありません。

Ima: インクルーシブ教育が進んだのは、「カトリック」の人間の尊厳を重んじる教義 や
「隣人愛」の文化的背景が関係しているでしょうか? 

Loc: これは他国からもよく質問されます。必ずしも宗教的な背景ではなく、
イタリア人の民族性、「みんな一緒に」という気質によるところが大きいと思います。

Ima: 日本には「障がい」に特化した「障害者担当大臣」はおらず、
世界的にも珍しいと思うのですが、イタリア以外の国では「障害者担当大臣」のような
ポストはあるのでしょうか?

Loc: たしか、コンゴには障害担当の大臣がいたと思います。障害者改革は、個々の可能性を広げる、
最大限に発揮する取組みであって、最終的には「障害担当大臣」が不要になるのが目標です。
権利獲得のために戦う必要がない社会になることが重要です。

Ima: 「原則として(小学校で)クラス替えをしないというのはイタリアの学校の慣例」
ということですが、クラス替えをしないメリット・デメリットはなんでしょうか?
長い時間一緒に過ごすことで理解が深まるということはありますよね。

Loc: その通りです。クラス替えは、障がいのある子どもにとってトラウマでしかありません。
先生やクラスの友達が変わることに強いストレスを感じます。
他国では、障がいのある生徒がクラスにいることで、その子のせいで授業が遅れる、
と見ることが多いようですが、イタリアでは、障がいのある人と関わると、
日々自分自身に得るものがある、健常者が学ぶことがあると捉えます。
マイナス面よりプラス面を見ているといえるでしょう。

Ima: インカーブも同じ考えで、スタッフはできるだけ長くアーティストと
一緒にいてもらえるようにし、外部からの、特に無駄に思える、慣例的な見学者はお断りしています。

Ima: 偏差値の高い高校生の一部には、「多様性もインクルージョンも理解ができるし、
マイノリティを救うことにも共感する。だが、誰よりも自分の時間を削り、
死にものぐるいで勉強してきた上に、彼らを支えるのは君たちだ」と言われるのは納得がいかない。
大臣なら、そんな隣人愛に欠ける高校生にどのように応答しますか?

Loc: もちろん、イタリアにもそのような発想をする人もいます。
しかし、社会全体がそういう(インクルーシブな)発想であり、
それは法律による強制力では解決しない、文化的背景によるところが大きいです。

Ima: イタリアと日本では、経済状況はさほど変わりはありません。
公教育への支出割合(GDP比)も同じような%です。
しかし、イタリアはフルインクルーシブ教育で日本は分離教育です。
別立ての予算があるのでしょうか。

Loc: イタリアでは、重症心身障害児も学校に通わせる義務があります。
教育者としての教員に対して国から予算がつく以外に、学習をサポートする支援員、
学校生活の介助員、家庭へのサポートには各市町村から予算が付いています。
通学費の補助もあります。
(イタリアの障害担当省の年間予算は45億円?)環境づくりだけではなく、
(インクルージョンに)価値を持たせないといけません。

Loc: 販売の収益はみんなで分配しますか?

Ima: 作品は一人に、グッズは全員で分配しています。

Loc: インカーブの始まりについて、もう少し詳しく聞かせてください。
障害のある人の創作活動に価値を見出したきっかけは?

Ima: 自分が金持ちを太らせる仕事をしていた一方で、
知的障がいのある人の暮らしの厳しさに直面し、自分のやるべき仕事は何だと考えたこと。
デザインは意図的に考えて作るものに対し、
デザイン思考ではない彼らが描く絵は、僕には描けない。
僕にはできないことが彼らにはできるのだと感じたことです。

すこしは一丁前になったかな?

2002年9月24日生まれ、23歳。
今日、インカーブは社会人になりました。
すこしは一丁前になったかな?
お友達のみなさま、ながくながくお付き合いいただき、ありがとうございます。

人は生を受けた途端に「評価を受ける者」になります。
人生の第一評価者は親です。第二評価者は教職員でしょうか。
第三評価者は会社の上司になり、地域社会になり、国家になります。
「社長や理事長、国家を代表する者は評価者であり、評価を受ける者ではない」
と思いがちですが、そうではありません。
彼らもながく評価を受ける者として生きてきました。
口に出さなくても、誰かの評価がほしいのです。
でも、裸の王様のそばには誰もいない。だらか、神や仏をそばに置くのでしょう。

「評価を受ける者」と「評価を与える者」という構図を壊したくて、
10年ほど前から「無審査・無賞・自由出品を原則」とする
アンダパンダン展を模した美術展をしています。
知的障がいのあるアーティストは知的障がいのない者から評価を受け、指導され、カテゴライズ
(障がい者アート、アウトサイダー・アート、アール・ブリュットetc)されてきました。
それは、なぜか?
要因は様々ありますが、キモは「彼ら彼女らが抗弁しにくい」からだと思っています。
自らの主張を表明しにくいがゆえに、「評価を与える者」が勝手に行為に至る。
根っこは、先日fbに投稿した市川沙央さんの朝日批判と同じです。
インカーブに在籍する知的に障がいのあるアーティストが自分の「好き」な作品を選び、
展示構成も可能な限り自分で決めました。
選択することが難しくても手を変え品を変え、粘って粘って聞き取りました。
それでも、難しなら血を分けた親を巻き込んで決めました。
だから、考える時間もエネルギーが必要でした。
それでも、こんな時代遅れな美術展があってもいいと思うのです。
10月4日から京都の壬生でお待ちしています。
お時間があれば、ぜひ、お越しください。
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【INCURVE ALLSTARS 2025】
https://incurve.jp/gallery/exh_251004allstars.html
会期
2025年10月4日(土)- 11月23日(日)
土日のみ開廊
12:00 – 19:00
会場
INCURVE|ギャラリー
〒604-8824 京都市中京区壬生高樋町60-18
*「ギャラリー インカーブ|京都」は、2024年に「INCURVE」へと名前をあらためました。
入場料
無料
オープニングレセプション
各会期の初日に、創作の様子や作品に込められた想いについて
インカーブのアーティストとスタッフがお話します。ご予約不要・参加費無料です。
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The 1st
会期
10月4日(土)・5日(日)・11日(土)・12日(日)
出品アーティスト
池野ほのか・打揚彦行・鹿子正登・岸かおり・塚本和行・テッセンソン蘭那・湯元光男
オープニングレセプション
10月4日(土)14:00 – 15:00
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The 2nd
会期
10月18日(土)・10月19日(日)・25日(土)・26日(日)
出品アーティスト
内野真行・佐藤太郎・澤田はる菜・寺尾勝広・信谷弘光・林健太郎・山本彩加
オープニングレセプション
10月18日(土)14:00 – 15:00
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The 3rd
会期
11月1日(土)・2日(日)・8日(土)・9日(日)
出品アーティスト
井戸友香里・宇内弘征・岡崎修介・北池裕一・新木友行・西川遼志・西山陽太
オープニングレセプション
11月1日(土)14:00 – 15:00
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The 4th
会期
11月15日(土)・16日(日)・22日(土)・23日(日)
出品アーティスト
伊東和穂・井上幸平・河野彩音・阪本剛史・武田英治・寺井良介・山中貴博
オープニングレセプション
11月15日(土)14:00 – 15:00
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京都岡崎 蔦屋書店にて、インカーブの新しいグッズのPOP UPを開催。
あわせてお楽しみくださいませ。
「INCURVE POP UP @ 京都岡崎 蔦屋書店」
2025年10月6日(月)- 11月24日(月)

「私にはもう、未来に期待する気力が残っていません。」
今朝の朝日新聞に寄稿した芥川賞作家、市川沙央さんの言葉です。
上滑りする「共生」を生産し続けるマスコミや研究者への鉄槌と諦めが書かれています。
対して朝日新聞は「お詫びの言葉」を社会面に記しますが、後の祭り。響きません。
デジタル版では、移民政策の研究者が「多様な属性をもつ人びとの参画・参加、当事者
(という言葉自体が不適切かもしれないが)の視点、対話の重要性、といった言葉を使い、
「誰ひとり取り残さず、すべての人が暮らしやすい社会」を目指してきたつもりだったが、
障害をもつ人びとの存在が抜け落ちていたことに気づかされ、愕然としている。」
「車椅子ユーザーのアクセシビリティを検討したこともなかった。」と詫びていた。
私も愕然としています。
「共に生きる」対象者は、誰なのか?本気で問うマスコミであってほしい、
慮れる研究者であってほしい。そういう意味で私は、未来に期待する気力を奮い立たせています。
朝日新聞の紙版、デジタル版は私のfbを参照してください。
https://www.facebook.com/hiroshi.imanaka/

”すき”

”すき”な人がそばにいて、”すき”なことが仕事にできれば、言うことなし。
そうだと気づくには、それなりの場数が入ります。
村木厚子さんが毎日小学生新聞で
「好きなことを大切に」というテーマで書いてらっしゃいます。
彼女が選んだのは、”すき”が形になったインカーブのアーティスト・岸かおりの作品でした。

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