もう10年ほど前からでしょうか、老いること、死することへの関心
(納得といったほうが収まりはいいかもしれません)が高まってきました。
それは決してポジティブなものではありません。
かといってドロドロのネガティブなものでもありません。
建築家のミース・ファン・ドル・ローエは
「朽ちていくことで美しくなる材料を選択しなさい」と、著書で述べていました。
グラフィックデザイナーの原研哉は著書『Ex-formation皺』で
「ものは流れる時間の中で皺とともに存在し、その痛んでいくプロセスにこそ
デザインは向けられるべきである」と。
朽ちていくことや、痛んでいくことは案外どころか、とても美しいものです。
いまひび割れた器を金継ぎに出しています。
もう、20年ぐらい使っている日用品です。
作家と言われる高尚な方がつくったモノでも、高額なモノでもありません。ただのモノです。
でも、僕の小さな手にはとてもなじみます。
一旦、お浄土に還ったつもりが、またこの世に戻って来てくれます。
ひび割れた器も人も往相還相を繰り返しながら、美しくなれるんじゃないか……なんて考えています。
それが僕の老いること、死することの今日現在の収めかたです。
壊れた器が還ってきたら美しい姿を見てやってください。
その時は写真入りで。