先ほど投稿した「大阪府立天王寺高等学校」の講演の様子が
学校の公式サイトにアップされているのを発見しました。
一人の生徒の感想です。
「今回の講演の中で特に印象に残ったのは、
多様性のあるチームづくりに関するお話でした。
弱い人をチームの中心に位置することで、相反する人や考えを上手くまとめることができる、
むしろ、「弱い人」の存在なしに多様性のあるチームはつくれないのだという考えは、
今まで私が持っていた「チームを導いていくリーダーは強くあるべきだ」という
認識と対照的でありながら、私の固定観念とも近い考えを大きく動かしてくれました。
天王寺高校で過ごしたこの1年間、リーダーシップ、
フォロワーシップという言葉に幾度となく触れ、考えを深めてきましたが、
国際社会のリーダーをめざす者として、その意義をもう一度考えていこうと思いました。」
固定観念をグラグラさせたくて学校にお邪魔しているので、それはそれで成果はあったようです。
ただ一方で、たくさんの生徒からは総スカンを喰らいました。
「誰よりも努力して、誰よりも時間を削って、誰にも負けないように勉強してきて、
強くなったんだ。なのに、弱い人でないと生き残れないだと!そんなアホな話があるもんか。
多様性が大切なのはわかるけど、私たちの能力をもっと評価してもいいのではないか!
弱い者を救うにはいつの時代も強い者だ」のような。
きっと怒りに主は、相対的な強さ(誰かと比較した時の我の強さ)に
私がイチャモンをつけていると誤解したのでしょう
(そもそも、そう思わせた私の話術が未熟なのですが)。
そうではなく、この講演での強さと弱さは、
テストの点数や運動能力といった 相対的な“できる・できない”ではありません。
過去にどれだけ“助けられたか”それに“気づけたか”その違いが強さと弱さなのです。
平たく言えば、強さとは、 誰かに「助けて」と言えずに 踏んばってきた力です。
弱さとは、 誰かに「助けて」と言える力なのです。
「助けて」と言わずに頑張ってきたあなたはすごい、きっと 大きな力を持ってる。
その力が 誰かの“弱さ”に出会ったとき、優しさに変わり、
そして自分の弱さにも気づけたなら──それが「内省的な強さ」です。
わたしが伝えたい「ほんとうの強さ」でした。
今年は、話術を磨いて、新たな強いと弱いの話をしたいと思います。
リーダーは弱いほうがいい、に納得して欲しい。
https://tennoji-hs.jp/tenkonews/3778