エンブレム委員会で王貞治監督
(以下、失礼ながら私が言い慣れた王さんと書きます)と
交わした宝物の「言葉」を記したいと思います。
エンブレムが「組市松紋」に決定した直後に
数分の休み時間がありました。
「今日で王さんとお目にかかれるのは最後かも……」との
思いから、以前いただいたサインボールに添えてくださった
「気力」という言葉についてお伺いしました。
「『気力』の言葉の真意はなんでしょう?」。
サインを頂いたときも「努力は当たり前、気力がなければ」
とお話しされていたのですが、もう一歩、深堀したかったのです。
王さんから「35歳、36歳までは自らの努力だけで、
なんとかなったの。そう長嶋さんが初めて監督をされた時ぐらい。
最下位になった年(1975年)ですよね。あのころまでは、
相手がどうのこうのではなくて、自分さえ努力すれば、
なんとかなったんですよ」。
王さん(1940年~)のバットマンとしてのピークは、
通算打率.320前後、本塁打50前後、打点120前後を
コンスタントにクリアした1973~1977年だと言われています。
つまり第一期長嶋巨人誕生の前後5年間です。
以降は打撃が低迷した、と言われますが3割30本100打点を
マークします。日本のプロ野球史上、こんな怪物は
後にも先にも王さんしかいません。
「でもね、35歳を超えたころから何かが違うなって
感じることが多くなってきて……(右手でスイングをしながら)
ピタッとボールにバットがあたらないんですよ。何かがずれる。
そのずれは努力でなんとからるものではなくて、
どうしょうもなくて」。
王さんの「努力」を物語る逸話はいくらでもあります。
「真剣でこうして(バットを振り下ろすように)半紙を
切るんですよ。風が吹いて半紙の端がこちらを見る、
その瞬間、スパッと切る」。
努力で集中力を増し、努力でアベレージを残してきた王さんが
「何かがずれる」と感じる時期にさしかかった。
その時に「気力」の大切さを感じたと言う。
王さんの盟友・野村克也さんは、
「私は野球のことしかわからないんですが、野球に関していえば、
一流と二流の差は努力と頭脳の差だと思います」と語っています。
誰もが「努力」では何ともならない領域に到達するわけでは
ありません。
その努力を「自力」だとすれば、
気力は「他力」といえるのではないか。
やるだけやってみても「何かがずれる」。
それでも、やるだけやってみた。
その先にある目には見えない不思議なチカラを
気力だとか他力と呼んでみたいと思いました。
フラミンゴのような一本足の立ち姿、
ライトスタンドに向かうボールの放物線。
あの凛とした美しさは、努力を超えた気力・他力によって
完成したのかもしれません。
私の興味に引き寄せれば、
求道者の王さんと親鸞さんがみごとに交錯した瞬間でした。
王さんと2人でお話ができてよかった、心底そう思います。
いつか王さんの「破壊的な打撃論」について書こうと思います。
その打撃論は、あまりにも刺激的で、暴力的なものでした。
シビレます。
(写真:中谷吉隆「極楽のアートフォト俳句の世界」より↓)