文庫版のための「はじめに」


 本書は、ながく絶版となっていた『観点変更-なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか』(以下、『観点変更』)の文庫化である。新たに、「いまだに、考え続けていること」を補論として書き下ろし、『アトリエ インカーブ物語』として生まれ直した。
 物語の舞台は、アトリエ インカーブ(以下、インカーブ)だ。ここは知的障がいのあるアーティストと彼らをサポートするデザイナーであるスタッフが協働する工房である。インカーブが生まれたのは二〇〇二年、『観点変更』が出版されたのは二〇〇九年。それ以降、あるアーティストは国内外のアートフェアに出品し、あるアーティストはオリンピック・パラリンピックの公式ポスターを描く一人になった。一方で、親の介護で制作を中断する人やおもいがけずお空に還った人もいる。
 物語は、インカーブを立ち上げた「私」の生い立ちからはじまる。小学校低学年のころ、私は一〇〇万人に一人といわれる先天的な障がいがあることがわかった。父と母は動揺し、おばあちゃんは涙を流し、私は覚悟のようなものを決めた。それ以降、たくさんの人に出会い、学びの機会をえた。そして、捨てられ、捨ててきた。残ったのは、デザインと社会福祉と仏教だった。強いて、手に入れたかったわけではないし高尚な思いがあったわけではないが、気がつけばアーティストのことやインカーブのことを考えるときに、ちょくちょく顔を出してくる。
 私たちは、悲しみや苦しみをかたときも手放すことはできない。どっぷり、それに浸かるとお互いを利他的に助け合って、普通ではないつながりをつくり出すことがある。一方で、私は、みんなが助けてくれると思っていないし、みんなを助けられるとも思っていない。みんなに開かれた場所ほど罠が多いことも知っている。旗をふる私がそうだから、インカーブは少し歪で、小さな閉じた場所になってしまった。ただ、だからこそ、お互い慮れるともいえそうだ。
 インカーブが生まれて二〇年近く経った。本書はその前半の、ゴツゴツした荒削りなインカーブが描かれている。まぎれもなく、私の原点であり、インカーブ物語のはじまりだった。
二〇二〇年盛夏 今中博之


著者プロフィール


今中博之 Hiroshi Imanaka

1963年京都市生まれ。ソーシャルデザイナー。社会福祉法人 素王会 理事長。アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会:文化・教育委員会委員、エンブレム委員会委員等。厚生労働省・文化庁:障害者の芸術文化振興に関する懇談会構成員、障害者文化芸術活動推進有識者会議構成員等。イマナカデザイン一級建築士事務所代表。 金沢美術工芸大学非常勤講師。偽性アコンドロプラージア (先天性両下肢障がい)。
1986年〜2003年、(株)乃村工藝社デザイン部在籍。2002年に社会福祉法人 素王会 アトリエ インカーブを設立。知的に障がいのあるアーティストの作品を国内外に発信する。ソーシャルデザインにかかわる講演多数。グッドデザイン賞(Gマーク・ユニバーサルデザイン部門)、ディスプレイデザインアソシエイション(DDA) 奨励賞、ウィンドーデザイン通産大臣賞など受賞多数。
著書に『かっこいい福祉』(左右社)、『社会を希望で満たす働きかた - ソーシャルデザインという仕事』(朝日新聞出版)、『観点変更-なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか』(創元社)などがある。