「学校現場では『障がい理解教育』というカテゴリーがありますが、
これはすでに区別した上での見方」を覆していけないか!
そんな問いをくださったのは北村さんでした。
今年に入り、小学生の子ども達とインカーブが絡むケースが格段に増えました。
成人期以降のアーティストとばかりと対してきたインカーブですが、
子ども達との絡みは未体験。喜びあり、悩みあり、笑いあり、涙あり。
いままでの経験も木っ端微塵です。
ただそのなかでもぼんやりですがわかってきたことがあります。
子ども達は机上で「障がい理解」をするのではないということ。
非当事者からの学びは子ども達の心に「ズシン」と響かないこと。
新木画伯は、シンポジウムで150名近い子ども達に一生忘れないだろう
「爪痕」を残したようです。子ども達には、
「すでに区別した上での見方」に異議申し立てする大人になってほしい、
そう願っています。
一方、なぜ「障がい理解教育」を子ども達にしなければならないのか?
に疑問をもつことも大切です。
子ども達は、「普通」と「特別支援」で教育を
(自らの意思に反する場合も多々あるが)受容し「一緒の社会」で暮らすこと
を強制されます(特に政治家はそう促します)。
でも、それは無理、ではないでしょうか。
0歳から18歳まで別々の環境(教育)で暮らしていて、
18歳になったら「さぁ、一緒の社会で暮らしましょう!」って。
学校現場から「すでに区別した上での見方」を覆していく試みに、
インカーブは賛同します。きっと、新木画伯も大賛同するはずです。
政治家の演説より、国立国会図書館に眠る研究者の論文より、
新木画伯の一撃は破壊力があるのです。

学校を敵にまわしかねない企画を実行してくださった北村さんの勇気に感謝です。

稀なご縁に出会えたことに感謝です、ありがとうございました。

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