ソーシャルワークは「専門職」である、とされています。
つまり「その道のプロ」。
また、ソーシャルワークが焦点を置くのは、問題解決と変革である、
と国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)では謳っています。
「その道のプロと言われるソーシャルワーク専門職が社会(環境)と
クライエントの接合面で興る、ややこしい問題を解決する。
解決できひんのなら変革を興す!」というものです。
そこで時々、考えます。「専門職」とは何ぞや?
「専門職」と「非専門職」の違いはどこにあるのだろうか?と。

昨日、大阪府大でお借りしたドキュメンタリー映画「Healing Homes」を
インカーブのスタッフとみました。
映画のポイントは2点あったように思います。
1点目は「精神障がいと薬の投与の是非」。軍配は「投与の非」でした。
そして2点目は前述した「ソーシャルワークと専門職/非専門職の是非」です。
軍配は「非専門職の是」でした。

1点目の「精神障がいと薬の投与の是非」に関しては、正直判断がつきません。
薬の投与を続ける精神障がいの方と深いお付き合いがないので是非を述べることができません。
スミマセン。
あくまで耳学ですが米国では「薬の投与」が是とされているようです。
それは何故か?製薬会社の陰謀説もあるようですが、
個人的にはそれよりもっと以前のことではないかと思います。
思想をつくるのはその民族の宗教だと言われます。
米国のプロテスタント民族(2014年にはプロテスタントが40%弱にまで減少しているそうだが)の
「告白」に猶予を与えないことがひとつの要因ではないかと思います。
つまり、教会で己の罪を告白できないので、精神科、臨床心理士に告白する。
告白されたドクターはすべてを受容できないので、薬に頼る。
米国に追随する日本も同様の現象があると聞きます。
僕は一日、10種類以上の薬を飲んでいます。それで、ようやく身体の痛みが軽減されます。
精神と身体の障がい部位の違いはありますが、薬は不必要ではないように思います。
ようは案配のいい、使い方。薬に飲み込まれないことでしょうか。
寛容でクレバーなドクターを見つけることが最大のポイントです。
薬好きのドクターは好みません。

2点目の「ソーシャルワークと専門職/非専門職の是非」。
少し観点を変えてお話します。
なぜ、福祉労働は評価されないのか?
なぜ、福祉労働者の年収は全産業でも最底辺に位置するのか?
それは専門職と非専門職の見分けがつかないからです。
医者と非医者、弁護士と非弁護士、建築家と非建築家、見分けがつきます。年収差もあります。
戦後、医学(医療従事者)に追いつけ!とエンジンをふかした福祉(福祉従事者)は
いまだに追いつけずにいます。
それは、ソーシャルワークという専門職を専門職として認めない
日本の政治のテイタラクも大きな要因だと思います。
また、テイタラクな政党や政治家を支援する我々にもその要因はあります。

「Healing Homes」では「非専門職の是」としました。
はたしてそうでしょうか?
ソーシャルワークとは特別の価値や知識や実践を必要としないでしょうか?
社会と福祉(社会福祉)を結ぶには相当な人間力が必要です。腰掛けでできるような仕事ではありません。
でも、「Healing Homes」では「非専門職」の「農業を営むご夫婦」は精神障がいのある方々を、
薬を使わずに、かつ、米国化されたソーシャルワーク語を利用せず、快方に向かわせたといいます。

福祉職のみなさんは、どう、考えますか?
「精神障がいと薬の投与の是非」と「ソーシャルワークと専門職/非専門職の是非」。
インカーブのスタッフにも投げた質問です。
以下のYouTubeで日本語訳の「Healing Homes」が投稿されています。
ぜひ、お時間が許す時に。79分です。

https://www.youtube.com/watch?v=zkvh1SknvrI
「『癒しの家』薬なしでの精神病からの回復についての79分のドキュメンタリー映­画。
伝統的な精神医療で上手く行かなかった人々を家族、多くは農家の家族に預け、
まっ­たく新しい人生を始められるようにする、スウェーデンの団体・ファミリー・ケア財団を­詳しく探訪する。
臨床家、クライエント、ホスト・ファミリーとのインタビュー。ダニエ­ル・マックラー監督」IMG_1780IMG_1765