はじめに


 心の バリア を壊すことは正しいことで、そうすべきだと思っていませんか? 私は、「バリアフリー」一辺倒 いつぺんとう の正義感に引っかかるのです。そうではなくて「壁」を肯定したいし、新たな意味を見つけたい。壁の中に こも るのも、なかなかどうして、悪くないと頷いて欲しい。そう思ってこの本を書きました。
 そもそも壁は二つあります。それは、「壊すべき壁」と「自分を守ってくれる壁」です。壁をゼロにしたからといって共生 きようせい が叶うわけではありません。大きな壁に囲まれているから孤独になる? そうとも限りません。壁は壊すものばかりではなく、自分の手で積まなければならないものもあるのです。
 政府は、近年「様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合う心のバリアフリー」に取り組んできました。小学校では二〇二〇年度から、中学校では二○二一年度から、高等学校では二○二二年度から「心のバリアフリー」教育が実施されます。
 でも、大きな心の壁は、豊潤 ほうじゆん な孤独をあたえてくれるし、沈黙の中で生きる意味、死する意味を学ぶことができます。小さな心の壁は、他者と適度な距離感をあたえ共生には欠かせない存在です。一方で、壊すべき壁を完全にフラットにするなんて不可能です、きっと。でも、時には、壊れないとわかっていても、ハンマーを振り上げて いど まなければならないこともあるし、壁を壊すことで新たな苦しみが生まれることもある。その苦しみから逃げるために、もう一度、壁が積み上がるのを願う人もいます。
 インカーブを運営する私には、一○○万人に一人といわれる先天的な身体障がいがあります。今ではその障がいは両手・両脚に及び、杖があれば数十メートル程度は歩けますが、それ以上になると車椅子や車を使っています。
 私は、一つ目の大学を卒業してから、インハウスデザイナーとしてショールームや博覧会の空間デザインを担当してきました。その後、障がいが進み、順風満帆 じゆんぷうまんぱん に見えたデザイナーとしての生活に迷いが生じてきます。そんな時に出会ったのが知的に障がいのあるアーティストたちでした。彼らの作品に魅了されると同時に、彼らが味わってきた如何ともしがたい苦しみを知ることになります。その後、効率至上主義の中でデザインの本質を見失いかけ、会社を退職。公的なデザイン事務所であるインカーブを立ち上げました。
 現在では、東京2020オリンピック・パラリンピック公式アートポスター制作者の一人であるアーティストや国内外のアートフェアに出品する まれ なアーティストが育っています。私は、アーティストを守るために大きな壁で外界を遮断 しやだん しつつ、時には壁を壊し世界にアクセスすることを試みました。今では、開きっぱなしを否定し、閉じられた壁を肯定することもできます。
 もし、あなたが壁をゼロにしなければならないと本気で思っているなら、それは違います。壁をゼロにすることだけが正解ではありません。目の前の大きな壁の中に籠ってもいいし、顔だけ見えている高さの壁を用意してどっちつかずの宙ぶらりんを決め込むことも悪くない。自分の力で壁をコントロールできると思い上がるのか、それともコントロールなんてはじめからできっこないと諦めるのか。どちらの手も、ないことはない。
 私が壁の中で考えた「共生」は、お互いの苦しみを分けあう「共苦 きようく 」にたどり着きました。障がいの有無にかかわらず、共生と共苦を考える鍵は壁の中にあるように思うのです。

二〇二〇年大暑 今中博之


著者プロフィール


今中博之 Hiroshi Imanaka

1963年京都市生まれ。ソーシャルデザイナー。社会福祉法人 素王会 理事長。アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会:文化・教育委員会委員、エンブレム委員会委員等。厚生労働省・文化庁:障害者の芸術文化振興に関する懇談会構成員、障害者文化芸術活動推進有識者会議構成員等。イマナカデザイン一級建築士事務所代表。 金沢美術工芸大学非常勤講師。偽性アコンドロプラージア (先天性両下肢障がい)。
1986年〜2003年、(株)乃村工藝社デザイン部在籍。2002年に社会福祉法人 素王会 アトリエ インカーブを設立。知的に障がいのあるアーティストの作品を国内外に発信する。ソーシャルデザインにかかわる講演多数。グッドデザイン賞(Gマーク・ユニバーサルデザイン部門)、ディスプレイデザインアソシエイション(DDA) 奨励賞、ウィンドーデザイン通産大臣賞など受賞多数。
著書に『アトリエ インカーブ物語 アートと福祉で社会を動かす』(河出書房新社)、『かっこいい福祉』(左右社)、『社会を希望で満たす働きかた - ソーシャルデザインという仕事』(朝日新聞出版)、『観点変更-なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか』(創元社)などがある。