国や地方自治体の会議や懇談会の委員を仰せつかるようになって何年になるのだろう。
10年ぐらいかな……昨日のこともフゥ〜って靄がかかり、忘れがち。
なので、覚えていません(きちんと行政資料を見れば、わかるのですが)。
でも、「忘れまい」と心の真ん中に焼き付けているやり取りがあります。

今週の9月9日(土)に開催される「障害者芸術支援フォーラム」でほんの少し登壇させていただくので、
過去の資料を整理していたら、出てきました!「忘れまい」としたやりとり。
それは「2013年7月2日 障害者の芸術活動を支援するための懇談会(第2回)議事録」にあります。
ある美術研究者から「アール・ブリュット」という「形容詞」を採用することで
「喜んでくれる人もいるわけですね、きっと。泣く人もいるけども、多分、喜んでくれる人もいる。どうなんでしょう」。
彼が放った「泣く人もいるけども」はグサリと心を抉られました。泣く人が出現するなら、それは採用すべきではない。
少なくとも「福祉」に関わる者はそうあってほしい願います。
ただ、「美術」という狩猟系(そもそもアートは搾取。たくさんの作品から取捨選択を行なって美術展を行なっている
のですから)からすると「泣く人もいるけども」は容認されます。
そこをどのように折り合いをつければいいのか?
こちらにもジレンマがあり、あちらにもジレンマがある。きっとそうなんだと思います。
今週末「障害者芸術支援フォーラム」でそんな話もできたらなと思います。
https://www.facebook.com/99forum/

参考までに「2013年7月2日 障害者の芸術活動を支援するための懇談会(第2回)議事録」をご紹介します。
なぜ今週末「障害者芸術支援フォーラム」を開催しなければならないのか?
その「そもそもの議論」を深堀したい方は、ご照覧ください。
(グタグタの大阪弁なので読みづらいと思います、すみません)
今中↓
「でも、よう考えてほしいんやけど、画用紙の上で障害も、女性も、男性も唯一ない世界なんですわ。
だから、そこに僕はいろいろな名前を付けて、垣根を造って、今でも垣根ありますやん。
いろんな名前出してきて、私、こちらだし。そんなことやめて、もう普通のアートでええんちゃうかいな。
(中略)一般にそういうカテゴライズするような名称を付けたときに、泣いてはる方がいはるでというのも、
もしこれでアール・ブリュット行かれるのは結構なんです。我々は参加しませんけども、
もしそういう言い方で行かれるんやったらば、そういう人らもきっといはるでということも、
ちょっと頭の隅に置いておいてもらえたらなと思います。
ある美術研究者から↓
「でも、喜んでくれる人もいるわけですね、きっと。泣く人もいるけども、
多分、喜んでくれる人もいる。どうなんでしょう。」
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000036020.html

もっともっと深堀をしたい方は↓
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-syougai.html?tid=141324
で、「2013年の障害者の芸術活動を支援するための懇談会」の全体をご照覧ください。
障がい者の創作活動に対するモヤモヤ感は、この年の前後からあったように記憶しています。
昨日のこともフゥ〜って靄がかかり、忘れがち。
なので、行政資料を確かめないとわかりませんが。
時間のあるときに、回顧してみます。