野田聖子衆院議員がこんなコメントをよせてはります。
『相模原殺傷事件 感じた嫌悪「いつか起きる…」長男が障害持つ野田聖子衆院議員』http://mainichi.jp/articles/20160817/dde/012/040/003000c

障がい児をもつ母親として、かつ、政治家としての野田さんの言葉から
僕たちが学ぶ点が多々あると思いました。
以下、hpの抜き刷りです。

●「いつかこんなことが起きる」って。なぜなら息子を通じて、社会の全てとは言いませんが、
相当数の人々が障害者に対するある種の嫌悪を持っていると日々感じてきましたから。

●「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。
公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」と。
これを書いた人は、作家の曽野綾子さんの文章に触発されたようです。

●健常者と呼ばれる人たちの中には、「障害者の存在は無駄で、国に負荷をかける」と信じている人がいる。
この国から障害者がいなくなることはあり得ないし、高齢化やら何やらで、今は誰もが障害者になる可能性があるのに。

●障害者は「可哀そうな存在」ではなく、将来「なるかもしれない自分を引き受けてくれている存在」だ、
ぐらいの気持ちになってくれたらな。

●明治時代からなのか、小さい島国で資源もないせいか、日本人は「強さ」への憧れが強い。
「強い何々」という言葉が大好きでしょ。これだけ高齢化して人口も減っているのに。
コンプレックスの裏返しというか、自分たちが本当は強くないからこそ強くありたい、と。
だから、生まれながらに強くあることができない人への「線引き」があるのかも。
私も当事者になって初めて気づいた。

●でも私が嫌なのは、容疑者が大麻を使っていた、タトゥーを入れていた、
病院に入っていた、という話ばかりが注目されること。
措置入院のあり方などが議論されていますが、焦点は「手前の段階」と思います。

●優生思想的な考えを持つ人たちから、家族が2次被害に遭うからでしょう。変ですよね。
だからこそ私は逆を行きたい。息子の障害や写真を公表したのもその思いから。
国会議員にも家族の障害を隠す人がいるんじゃないかな。
でも隠す必要はない。息子に誇りを持ってほしいとの思いもある。
でも、本音を言えば私も息子も、いつ襲われるか分からないジャングルの中を歩いているような気分ですが。

●私も嫌いな人はいます。
誰しも心に毒はある。
でも大人になるというのは、心の毒を見せないことだと思う。
毒を隠し、建前を大切にできる。それが成熟した大人、国家です。