東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の「文化・教育委員会」に参加してきました。
今回は第一回目だったこともあり若手有識者(舞台芸術、音楽、絵画など最前線で活躍されている5名)を
招いて「2020年東京大会を契機として残すべきレガシー」とは何ぞや、のプランを聞き取りました。
それぞれの立ち位置で、それぞれのご意見が出ました
(実はこの委員会は非公開。詳しいプランまでご披露できません……。
なぜ、非公開なのか……わかりません。でも、なんとなく察しはつきますが)。
それぞれの意見を受けて、委員会の委員がそれぞれの意見を述べ合う、というのが会議の進行手法だったようです。
ただ、あまりにも話す持ち時間が少な過ぎ。朝4時に起床して虎ノ門に10時前に着。僕が話したのは3分ほど。 
愚痴っぽくなってスミマセン、でもあまりにも少な過ぎでした。

本題の議論の話しに戻します(非公開なのであたりさわりのないことを少しだけ)。
障がいのある委員は僕一人だったのでパラリンピックの話しは少ないだろうと予測していたのですが、
意外やいがい、数人の委員からパラリンピックこそ盛り上げるぞ!って声があがりました。
そうですよね、なんせ、オリンピック・パラリンピックなんですから、チカラ配分は同じにしてもらわねば。
僕からは東京都から報告のあった「東京文化ビジョン」http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/jyorei/vision.htmlについて
少々イチャモンをつけさせていただきました。
冊子p9には「障害者アートへの支援や障害者の鑑賞・参加を促す活動の推進等、
文化面でバリアフリーな都市として認知される取組の展開」で
「東京都現代美術館に『アールブリュット』発表の場を設置」なる構想が記されていました。
一部の福祉事業者の政治家を巻き込んだ強力なロビー活動やそれを後押しする美術研究者の善意の結果、
「アールブリュット」が完全に「障がい者アート」と同意語なってしまいました。
本当にそれでいいのだろうか……疑念は強烈にあります。
障がいのあるアーティスト達の作品や活動を「アールブリュット」とラベリングする(カテゴライズする)こと。
その罪は重いと感じています。
ラベリングからの解放が福祉活動で問われる価値観だと思うのですが、国や東京都は価値観が違うようです。
長年、インカーブは「彼らの作品は現代に生きるアーティストが創造する、現代のアート」であり、
「アートの前では完全にフラットである」と主張してきましたが、いまでは反体制派のようです。
今回の委員会で一番印象に残った「悲しい結末」でした。
そして、より一層、インカーブらしい立ち位置を守って反体制でいようと思いました。
政治もそうでうが一党独裁では危険ですから。
orinn